ガチ

毎回思い出して言葉にしたいガチすぎる社会。自分のステータスを高めて他人の上に立つことが人生の成功である。みたいなのが嫌いすぎて、各々が楽しく暮らしてたらそれでイイじゃんって言うのが僕の中での正解で、車なんかいらないし、家もいらないただ僕は、食事、睡眠、運動、休養がちゃんとあるだけでまず満足と思うように心がけている。それに美味しいものが食べれて、旅行に行けて、おしゃれができて、ギターを弾いたり、本を読んだり、人と話したりする時間があればこれ以上にない幸せだ。
恋人なんかがいても素敵だね。でも、生きてさえいればいいじゃない健康でいれればそれで、と思う。
ステータスを求めて精神をやんでしまう人、身体を壊してしまう人結構多いと思う。自分はそうならないように気をつけたい。ステータスなんかいらねーから楽に生きようぜ、したいことして、したくないことなるべくしないようにしようと。そのためにコミュ力とか自己解決能力とか磨いてきた。正直しんどかった。

心の弱い親

自分と重なる部分が母親には多くあって、不安になりやすいところとか、いつまでも同じような事に不安になってしんどくなって周りを巻き込むんだけど、いい加減慣れろと思ってしまう。ぱーとに仕事に大変だったのは分かるから、ゆっくりしていいよ。仕事もしんどいなら一旦辞めてゆっくりしなよと、姉と言ったのに休んだら休んだで暇だの、早く仕事見つけなきゃとか言い出して結局は休めてよかったって気持ちよりも、次の仕事決まった不安とか面接疲れただのなんでそんなしんどい事ばっかり考えちゃうのかな。先のことばっかり考えて暇な時間を愛せない。子どもとしては家族旅行にも連れて行って、たまにお土産でケーキ買って帰ったり、ご飯食べに行ったりして、お金だって家に入れてるし
仕事の愚痴だって疲れた〜ぐらいしか言ってない。
言ったところで自分の話にすり替えられる。
よくこんな不安性で子ども育ててきたよなすごいと思うわ。それは姉と俺が医療職に進んだし、奨学金借りて経済的な負担は減らしたからな。
精神的にも、経済的にもうちの家庭は厳しかった。
姉が家を支えて、その後俺が支えた。途中父親がうつ病になって母親が仕事に出てっていうあの状況は地獄だったなぁ。家族全員が全員しんどかったと思う。それでも姉は強かったと思う。姉がいてくれなかったら、うちの家庭は終わってた。
何が言いたいかと言うと。母親にあの地獄を皆で見たんだから、今の現状圧倒的にあのときに比べたら楽なんだから喜んで暮らそうぜって言いたいんですよ。息子に面接が、仕事がしんどいってそういうことばっかり学生の頃から話を聞いてきて、社会に出るのがどれだけ怖かったかわかってる?
学生時代辛かった時に親は頼りにならなかったよ。
自分が一番の頼りだったよ。
俺は俺に優しくできる。しんどくなる前に休んであげるし、疲れたらとりあえず休む。理想と現実をちゃんと分けてあげるし共用しない。理想の自分を諦めてあげる。美味しいもの、したいことをちゃんと実行してあげる。まず自分に優しくしてます。
いずれは自分以外の人のことも気にかけれるようにしていきたいとちょくちょくやってる。
自分のことを話したい話したいと思う人は自分だけじゃ消化できないことがあるんだろうな。多分その人たちは言語化して人にぶつけるだけで満足する人が多くいる。僕もそういうときがある。だから話を聞いてくれる人は貴重だし、聞き出してくれる人は優しいなと思う。人の話を聞ける人になりたい。結果そういうことだわ。

今日は言いたいことがある。

一つ仕事終えたから安心したんでしょうな。
話したいことがあって、人と話して、今の自分の境遇は昔に比べたら良くなったねってことを姉と話をしてて、嬉しいなと思った。多分これからも続いていくこの生活、やるせないことも多いかもしれないけどねまぁ総じてかなり良くなってるよと言いたい。だからなにかあっても大丈夫と自分に言ってあげる。あの地獄から這い上がって今の生活を手に入れたのだと。当たり前に今の生活は手に入れることはできなかった。精神的に成長が必要であった。
この時間が今は必要。前に進むために、明日からも生きていくために。

これから先

一番大事なのは健康。心の健康かつ体の健康。
最近自分をいじめ過ぎです。追い込んでます。このままだとだめです。心が折れます。対処法は何もしないことですね。すべきこと以外は何もしないように努めよう。本当にどうでもいいことは捨てていいよ。美味しいもの食べて寝てでいい。で、旅行行ってリフレッシュ。単純にこれが最善。

一つ一つケリをつけていく。

やると決めたことを一つ一つやり遂げていく。向き合っていく。でも、自分には優しくする時間を作る。何か40歳くらいに又吉とか西野みたいな感じの大人になれてたら最高だなと思っていて、自分の世界があってそれを語り外へ出している。僕が今からできること、挑戦していくこと、停滞してる時間も必要な時間として受け入れること、生きていくことだと思います。やっばり他人がどうこうってクソどうでもいいわ。自分の中での最善を探していくしかないと思う。他人に認められたいって考えしょうもないし、コミュ力高くもなりたくない。自分ができるようになること、考えることができるようになりたい。他人に認められて幸せを感じるって状態は他人がいないと幸せになれないって事のように感じてしまって他人に幸せ委ねてるってことになるんじゃないのかな。多分それ幸せになれないわ。気分によって他人の言動は変わるから。

ただ自己満足を深めていきたい。

今日周りの人との温度差を感じた。いや、俺の作った資料が悪いのかもしれないが、そもそも素朴な質問さえ生まれない、生産性のない検討会であったことは確かで、資料に載せることができる部分も限られている中で穴があるはずなのにそれに対してツッコミさえ生まれてこないことにあきれてしまった。
たかが二年目の発表ですよ、もっと突っ込んでくださいよ。と思ってしまった。僕なりに準備して答えを出したにもかかわらず、文字数が多かったとか、じゃあ伝えたい部分は何ですかとか、最初から最後まで生産性のない検討会であったことは確かでしょうもなかった。それだけは言いたい。しょうもない